テニスラケットの科学(206)
:スピンとストリング(4)
:ストリング・テンションと反発係数(パワー)についての誤解の歴史
● 1979年発行の Don J. Leary(ドン・レアリー)著、一般向けの書籍「The Teaching Tennis Pro」(*1)には、”ガットが堅く張ってあればあるほど、パワーボールを打てますが、そのかわりコントロールは悪くなります(ボールがガットからより早く離れるから)。
ガットがゆるければゆるいほど、打球のコントロールはよくなりますが、パワーは落ちます。(ボールがガットに接触する時間が長くなるから)”という記述があります。
レアリーは、米プロ協会のリーダーの一人で、有名テニスクラブのヘッドコーチでもあり、この本のもとになった新聞コラムの読者は世界で3000万人以上と言われ、当時は、「ストリングがゆるければゆるいほど、打球のコントロールはよくなるが、パワーは落ちる」というのが、テンションに関する常識だったわけです。しかし、実験的な検証はありません。
● 一方、1987年発行のHoward Brody(ハワード・ブロディ)著、一般向けの書籍「Tennis Science for Tennis Players」(*2)には、次のように書かれています。
”ラケットのストリングはどのくらいのテンションで張るのがよいのでしょうか?—–
テニスショップのスタッフ、コーチ、友達、上級者に聞いても、残念ながら適切なアドバイスが得られることはほとんどありません。その理由は、ストリングの物理学が理解されていないからです。”
”ストリングのテンションを強くすると、反発力は小さくなる。
ストリングのテンションを弱くすると、反発力は大きくなる。
これは物理学的には明快で、理解しやすい内容です。では、どうして正反対に思う人が多いのでしょう?
その理由は、トッププレーヤーの多くがストリングを強く張ったラケットから、強烈なパワーを引き出しているように見えるからです。
つまり、ボルグは、ストリングを78ポンドで張っている、だから非常に速いボールを打つことができるのだ、と思ってしまうのです。でも、これは事実とまったく反対です。”
ブロディは、国際テニス連盟の技術委員、米国プロテニス協会の科学アドバイザーを務めた物理学者で、この著書は広く読まれてきました。しかし、この場合も、ボールを衝突させた実験データはありません。
● 一般向けの書籍:2002年発行の「The Physics and Technology of Tennis」(*3)および2005年発行の「technical tennis」(*4)には、次のように書いてあります。
”「ストリングのテンションを60ポンドから50ポンドに10ポンドさげたとき、サーブのスピードは0.7%しか増加しない。”
一般にテニスの実験では、2%以下の違いは誤差の範囲(ばらつき)とみなされます。
(注)ストリング面は縦糸と横糸が編んであり、凹凸があるので、フレームを固定してストリング面の同じ位置を狙っても、ボールの当たり方が微妙に異なることがあるのです。
● 1987年の Jack L. Groppel らの論文(*5)では、当時では高速の毎秒4500フレームのフィルムを使って、グリップ固定のラケットにボールを衝突させる実験(反発力係数の測定)結果を紹介し、次のように書いてあります。
” ラージ・サイズのラケットに(天然)ガットを張った場合、テンションが40ポンドのときにボール・スピードが最大(反発力係数:0.512)になり、50ポンドと60ポンドでは、ほとんど変わらなかった(0.488)。
また、70ポンドではスピードが減少するが(0.462)、80ポンドではふたたび増加する結果(0.475)となった。
ナイロン・ストリングを張った場合は、40ポンドでボールのスピードが最大(0.52)になった後、70ポンドまで減少を続け(0.48)、80ポンドでまた増加した(0.50)。
さらに、(ナチュラル)ガットを張ったミッド・サイズ・ラケットの場合、スピードが最大になるのは60ポンドのとき(0.438)であり、2番目は40ポンドのとき(0.415)であった。
ナイロンを張ったミッド・サイズ・ラケットの場合、50ポンドでボールのスピードが最大になり(0.41)、70ポンド(0.36)より80ポンド(0.365)の方が若干高速になった。”
これらの実験では、ストリング面の衝突位置が微妙にばらつくので、有効数字を考えると、テンションの違いによる反発係数(反発力係数)には大きな違いはないとみることもできます。
これらの実験結果については、一般向けの書籍:「HIGH TECH TENNIS」(*6)にも紹介されています。
(追)
● なぜ、昔から、このような混乱が見られるのでしょうか?
その理由は、次の稿で紹介させていただきますが、ブロディ自身もストリングの物理(インパクトにおけるストリング面の硬化バネ特性:すなわち、衝突速度が大きいほど、すなわち面のたわみが大きいほど、面のバネは硬くなるという性質)については十分には理解していなかったからです。インパクトにおいても、張った時と同じように、ストリングを緩く張るとテンションが低く、強く張るとテンションが高いと勘違いしていたようです。
(注)「面圧」と称していますが、単位は、圧力の単位ではなく、「バネの強さの単位」です。つまり、単位の長さ(たとえば1ミリ)たわませるのに必要な力の大きさです。たわみが大きい状態ほど面圧が高いことになります。
レアリーも、接触時間についての誤解があるようです。接触時間はインパクトにおけるストリング面の硬さ(俗称:面圧)で決まり、ストリング面がたわむほど(衝突速度が大きいほど)面圧は大きくなり、衝突速度が低いときは緩く張った方が接触時間は長いですが、プレイにおける(ドロップショットを除く)一般的な衝突速度では、張った時のテンションの違いがあっても接触時間にはほとんど違いがありません。
ブロディの実験データは、ボールをストリング面に上から落下させるなど低い衝突速度で接触時間を調べたものです。
ちょっと考えたらすぐにわかる簡単なことですが、ストリング面に大きな力が加えられたときに、緩く張った場合も硬く張った場合も(力が同じなら)ストリングのテンションはほぼ同じです。ただし、当然、緩く張った場合はたわみが大きく、硬く張った場合はたわみが小さくなります。
インパクトでは、ボールがストリング面に接触した初期の時刻では、ストリングを張った方向と直角方向に力が加わるという幾何学的な関係から、緩く張った方が柔らかいので変形は進みますが、変形が進んで変形が最大(ボールのつぶれも最大)になった時刻では、硬く張った場合より緩く張った場合の方が硬くなります。ストリング面の刻々の硬さを平均すると、緩く張った場合と硬く張った場合の違いがほとんどないので、接触時間も違いがないということです。
フェイス面積の小さいラケットほど、ストリング面がたわむほど硬くなるので、緩く張っても、インパクトではストリング面は硬く(面圧が大きく)なり、接触時間は短くなります。
(参考文献)
*1:The Teaching Tennis Pro by Don J. Leary, 1979, Los Angeles Times Syndicate.
テニスの急所191、ドン・レアリー著(福井烈 訳)、1980年、立風書房。
*2:Tennis Science for Tennis Players, Howard Brody, 1987, University of Pennsylvania Press.
テニスの法則、Howard Brody著(常盤泰輔 訳)、2009年、丸善。
*3:The Physics and Technology of Tennis by Brody, H., Cross R. and Lindsey, C., 2002, Racquet Tech Publishing.
*4:Technical Tennis by Rod Cros & Crawford Lindsey, 2005, Racquet Tech Publishing.
テクニカル・テニス、Rod Cross, Crawford Lindsey 共著(常盤泰輔 訳)、丸善。
*5:Jack L. Groppel et al., The Effects of String Type and Tension on Impact in Midsized and Oversized Tennis Racquets, International Journal of Sport Biomechanics, 1987, 3, pp.40-46.
*6:HIGH TECH TENNIS by Jack L. Groppel (Phd), 1992, Leisure Press.