事例3:超ロボットの壁(学習の包摂構造化と創発)
達人の巧みさに見える包摂構造と創発(学習の包摂構造化)
作家の江國香織さんは、第15回山本周五郎賞を受賞したとき、次のようにコメントしています。「恋愛は、他人の意見や情報が役に立たず、主観的な判断だけで人が行動する数少ないもの。小説でも、登場人物の考え方に耳をすまして慎重に行動を決めています。」
解剖学者・養老孟司先生は、次のようなコメントをしています。「情報とは、一度だれかの頭を通過して言葉に置き換えられたものだから、現実との間に必ずズレがある。事実は多面的で、そのままそっくりは再現できない。人間が本当に物を学ぶのは現場からである。
ことの本質は、五感を通じて入ってくるものに直面し、そこからつかみ取るしかない」。
「脳で考えるのではなく、体で感じて謙虚に生きる方法を取り戻さないと、本当に手遅れになる」。
新陰流剣術の遣い手・前田英樹先生は、著書「剣の思想、甲野善紀・前田英樹、青土社、(2001)」に「武術において解こうとしている問題とは、予測もつかず襲ってくる相手の襲来をいかにして抑えるかであり、その抑えの中に、いかにして一挙に術の恒常性を見つけ出すかといったものであろう(川副要約)」と書いています。
上泉新陰流兵法についての詳細な鋭い考察は、未来の社会、文化、科学技術、ロボットを考えるときに、多くの示唆を与えてくれます。「文化的な型にはまることが死を意味した時代の剣の思想」の深さと広がりは、限りない挑戦的研究テーマになりそうです。
「トンカツ屋のオヤジ」に見える包摂構造と巧みさの発現
前田英樹先生は、著書「倫理という力、講談社、(2001)」において、「トンカツ屋のオヤジ」について以下のように記述しています(川副要約)。
「ほとんど口をきかず、毎日にこにこと店でトンカツばかり揚げているようなおやじがいて、このおやじのトンカツが飛びきり美味いとしたら、この人ほどものを考えている人間は少ないかもしれない。
トンカツ屋のおやじは、豚肉の性質について、油の温度について、パン粉の付き具合について随分考えているに違いない。この人のトンカツが、こうまで美味しいからには、その考えは常人のおよばない驚くべき地点に達している可能性が大いにある。このことを怖れよ、この怖れこそ、大事なものである。こうした怖れを知らぬ者の考え出すことが、やがて人間を滅ぼすだろう。
トンカツ屋のおやじは黙ってトンカツを揚げている。彼は学問を軽んじているのでも、理想を軽蔑しているのでもない。ただ、彼は自分の仕事が出会ういろいろなものの抵抗で、それらの抵抗を克服する工夫で、いつも心をいっぱいに満たしているから、余計なことを考える暇も必要もないのである。こういう男のトンカツが、いつのまにか万人の舌を説得している。このことにこそ人間の大事がある。
怖れることができるには、自分より桁外れに大きなものを察知する知恵がいる。ところが、この桁外れに大きなものは、桁が外れているが故に、寝そべっている人間の眼には見えにくい。見習い坊主もまた、パン粉を付けてみるしかない。それは、初めちっとも面白い仕事ではないだろう。怖れる知恵がまだ育っていない者に、心底面白い仕事などあるわけがない。だが、知恵は育つのだ。豚肉やパン粉があり、怖いおやじがいる限りは。」
宮大工・棟梁の学習の包摂構造化と知性の創発
前田英樹先生も、著書「倫理という力、講談社、(2001)」において紹介されていますが、法隆寺の解体・修理の宮大工・棟梁だった西岡常一さんの著書「木に学べ、小学館、(2003)」によると、法隆寺を組み上げている檜が、千三百年前の建築時においてすでに樹齢千年から千三百年を経ていたそうです。樹齢千年の木で建てた堂塔は千年もつという大工の言い伝えはほんとうだったそうです。前田先生は、「この棟梁が千年以上にわたって檜の育つのを見てきたように話す」と書かれています(川副要約)。
「『ヒノキ林は地面までほとんど日が届かないから、木から実が落ちてもすぐには芽が出せない。何百年も種は我慢しているのである。林が切り開かれるか、周りの木が倒れるかしてスキ間ができると、今年の種も去年の種も百年前のものも、いっせいに芽を出す。木は日に当たって大きくなるのだから、早く大きくならないと、となりの木の日陰になってしまう。日陰になったらおしまいだから、何百年もの間の種が競争する。それが勝ち抜くのだから生き残った木は強い。大きくなると、少し離れた木が競争相手になるし、風や雪や雨から逃げるわけにはいかない。じっとがまんして、がまん強いのが勝ち残る。千年たった木は千年以上の競争に勝ち抜いた木である。法隆寺や薬師寺の千三百年以上前の木は、そんな競争を勝ち抜いてきた木なのである。』このような樹木の性質を飛鳥時代の工人たちが知り抜いていたことにこの棟梁は感嘆する。
この棟梁が行ってきた『物の学習』は、地質学、生物学、工学、歴史学のすべてを超え、それらのすべてに開かれている。
いつもおなじ方向から風が吹く所にある樹木は、その風に捩られまいとして伸びる。捩られまいとして生まれる樹木の成長力が、その樹木の「クセ」になる。棟梁は木のクセのことを木の心と言う。木のクセが見分けられなければ仕事はあからさまに失敗する。木のクセとおなじだけ多様な大工のクセが、木のクセを組む。『木の心』は、言うまでもなく、のみ・かんな・釘・のこぎりの接触によって知る。木に『物の心』があるように、のみ・かんな・釘・のこぎりにも鉄としての『物の心』がある。『人』の手が『鉄』を通して『木』に触れる、その接触の中にすべてが現れてくる。現れなければ、大工とは言えない。木の学習は鉄の学習を通してだけなされる。これに気付かない大工は、一生何にも気付かない素人だと棟梁は言う。」
物の学習をどこまでも深くする棟梁の知性は、図面を引いてもっぱら記号の学習を極める設計者の知性とは異なるのです。
ベッポじいさんに見える包摂構造
エンデの「モモ」(大島かおり訳、岩波書店)に登場する道路掃除夫・ベッポじいさんにも包摂構造が見えます(以下、川副要約)。
「孤児院から逃げ出してきた女の子「モモ」の二人の親友はベッポじいさんと若者ジジである。道路掃除夫ベッポじいさんの仕事ぶりは、「一足(ひとあし)-ひと呼吸(いき)-一掃き(ひとはき)」「ひとあし-ひと呼吸-ひとはき」。時々ちょっと足を止めて、前の方をぼんやり眺めながら、物思いにふける。それから、また進む-「ひとあし-ひと呼吸-ひとはき」--。「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路が全部終わっとる。どうやってやりとげたかは、自分でもわからん。これが大事なんだ。」モグラの穴掘りに似ています。
「若者ジジの空想力も、モモが傍で聞いてくれると、まるで春の野のように花開く。空想力が翼を得て空高く舞うのである。空想力が自分をどこに連れていくのか、自分でもわからないほどである。しかし、モモがいないと、ベッポじいさんの知恵も若者ジジの空想力もみじめなものになってしまう。モモに聴いてもらっていると、ばかな人にも急にまともな考えが浮かんでくるらしい。」
「ダンサー・山田うん」に見える包摂構造
ダンサー・振付家として活躍する「山田うん」さんは、かって次のよう語っています。「ダンスは日常のささいな断片を切り取ったり、再生したり、リピートしたりしているうち生まれる偶然の積み重ねのようなもの」、「動きやリズムが生まれた瞬間がダンスだ。」
「シンクロ・井村コーチ」に見える包摂構造
「五輪は何回行っても、新しい。前の大会はちっとも参考にならへん、時代が変わり、世界が動き、価値観が変化する。人の心の反応も変わるから、いつでも五輪はニューワン、オンリーワンの大会になる」とシンクロ・井村コーチはかって語っています(2004年朝日新聞)。
実環境では、学習が弊害になることさえあるということでしょう。
障害者のリハビリ現場における「靴下はき」の包摂構造化
佐々木正人先生によると、リハビリテーションの現場では、運動障害の身体は、新しい環境と出会ったとき、新しい姿勢、動きを要求されます。
頸椎の脱臼・骨折により損傷部以下の知覚と運動が完全に麻痺した障害者の「靴下はき」は、
(a) 転倒しないこと(調整され続ける)
(b) 足と手を接触する位置に脚をもってくる(全身の変形)
(c) 全身の変形を持続したまま足先位置で手先の操作をする、
という3種を目標としており、(b)と(c)の間も(a)が持続して達成されていることが重要である。
イチロー選手の学習の包摂構造化と巧みさの創発
野球の達人・イチロー選手の巧みさの発達は上記のリハビリに似ています。
(a)日本における1994年の大記録210安打(ボールにバットを当てる技術)の翌年、さらに
(b)本塁打と打点を飛躍的に伸ばした(遠くへ飛ばす技術)。
(c)大リーグ2年目の開幕戦2試合のヒットは、いずれも「追い込まれて」から打った「決して綺麗ではない」ヒットだったとい言います。彼がオープン戦で絶好球をあっさり見逃していたのは、わざとツーストライクに追い込ませておいて、そこからの対応を試すためだったそうです。
「やるべきことを一つ一つ積みあげていくのです。そうすると、そうしようと思わなくても、結果は出てくるのだと思う」と語っています。
公式戦で遭遇した課題をキャンプで学習して包摂構造化して要素行動として積み上げているように見えます。「やるべきこと」とは、要素行動(エージェント)に相当します。
さらにイチロー選手の巧みさは発達します。3度目の20試合連続安打(球団初)、左腕との対戦打率が3割8分3厘、常識を覆すようなデータについて:「どうしてか僕はよくわからない(首をかしげる)」、「それぞれの特徴はピッチャーによって違うもの。そこは(情報として)頭に入っている。」
一試合5安打(大リーグで自身初)に対して:「結果は特別。でも、そこ(打撃の状態)で感じているものは特別ではない」。「絶好調の定義にもよるが、すごくいい状態がどういうものかよく分からない」。「ボールが止まって見えるのでは」の問いに対して:「止まっていないものが止まって見えるのは明らかに特別でしょう。僕には、(ボールが)常に、それもやたらと動いて見えるよ。」
新人から4年間での大リーグ最多安打記録(75年前)を破る841安打を打って:「(周りに)驚かれているならまだまだ。驚かれないようになりたい。」
頭部死球(あと数センチで致命傷だった)後の4季連続200安打:「打席で怖いと思ったことはない。それはこれからもないでしょう。」
8月は56安打(月間最多安打、68年ぶり)に対して:「言うことがなくなってきましたね。どうしようか。」
今期3度目の1試合5安打:第1、2打席と内角球を流し打たれた左腕ピッチャーは、外角を意識した配球に切り替えた。しかし、3打席目は粘られた末の10球目を右前打された。直球、スライダー、チェンジアップにカーブと豊富な球種をことごとくファールされ、最後は意表をついて横手から投じた内角スローカーブを運ばれた。相手捕手は「もう投げる球がない。君に投げる球などないよ。」
イチロー 選手に見える包摂構造 |
イチロー選手(シアトル・マリナーズ、October 2001、ミズノ提供) |
(1) 1994年(日本):大記録210安打 ⇒ 包摂構造(SA)1:ボールに当てる技術
(2) 翌年:さらに本塁打と打点(飛距離)を飛躍的に伸ばした ⇒ 包摂構造(SA)2:当てる技術を持続しながら、遠くへ飛ばす技術
(3) 大リーグ1年目:いきなり数々の賞と記録 ⇒ 包摂構造(SA)3:当てる技術、飛ばす技術を持続しながら、環境が変わっても打つ技術
(4) 大リーグ2年目:開幕戦2試合のヒットは「追い込まれて」から打った「決して綺麗ではない」ヒット ⇒ 包摂構造(SA)4:当てる技術、飛ばす技術を持続しながら、追い込まれてから打つ技術
(5) 「やるべきことを一つ一つ積みあげていくと、そうしようと思わなくても、結果は出てくる。」⇒ 包摂構造(SA)5
(6) 「一喜一憂は、まわりがすることで、僕がすることじゃない」⇒ 包摂構造(SA)6
(7) 3度目の20試合連続安打 (球団初) 2004.7.29 朝日新聞
左腕との対戦打率が3割8分3厘:常識を覆すようなデータについて:「どうしてか僕はよくわからない(首をかしげる)」、「それぞれの特徴はピッチャーによって違うもの。そこは(情報として)頭に入っている」⇒ 包摂構造(SA)7
(8) 新人から4年間での大リーグ最多安打記録(75年前)を破る841安打 2004.8.13 朝日新聞「(周りに)驚かれているならまだまだ。 驚かれないようになりたい」
イチロー選手の場の哲学
「特別な目的は持たないが、こういう場所に来れば見えてくるものがある。」
(大リーグ・オールスターでのイチロー選手 )
「見るも良し、見ざるも良し、されど我は咲くなり」という作家・武者小路実篤の世界も、古くからあります。